
中動態の世界:意志と責任の考古学 (新潮文庫 こ 73-2)
【二元論に異議あり】人を好きになるのは受動的?哲学者・國分功一郎が語る”中動態”の世界/「意志」という言葉が切断するもの(第1回/全2回)
flier 公式チャンネルさんが紹介
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「君が自分の意志でやったんだから、君の責任だ」という考え方に、本当にそれでいいのだろうかと疑問を投げかける一冊として紹介されています。
僕たちが当たり前に使っている「意志」とは一体何なのかを、「中動態」という概念を手がかりに探っていくそうです。
- 能動態でも受動態でもない「中動態」
- •私たちは「するか/されるか」という見方に慣れきっていて、「する」ときには意志があり、「される」ときには意志がない、と単純に考えがちだとか。
- •しかし、「何かをしているが、意志を持たない」ということはよくあると説明されています。
- •例えば、「誰かに惚れる」「誰かを尊敬する」といった気持ちは、自分から湧き出る能動的な側面と、相手の魅力に引かれる受動的な側面の両方を持ち、単純に能動・受動では分けられないそうです。
- •「中動態」とは、ある人が「動作や気持ちの“場所”になっている」状態を示す概念で、この視点を持つことで、能動・受動の二項対立では捉えきれなかった世界が見えてくると紹介されています。
この本では、「意志」という言葉が、行為の背景にある複雑な歴史や事情を「切断」し、思考停止を招いてしまう危険性も指摘されているとのこと。
特に、アルコール依存症などの問題に対して「本人の意志が弱いから」と片付けてしまうことの危うさが語られています。
「意志を持て」「自分の意志で未来を切り開け」と言われる社会の生き苦しさを感じる人にとって、新たな視点を与えてくれる内容だとか。
驚くべきことに「古代ギリシャには意志の概念はなかった」という歴史的事実も明かされており、「意志」がなくても社会は営んでいけるはずだと述べられています。
この本が示す「中動態の世界」のビジョンの一つは、「自分のことは自分一人で決めない」ということ。誰かと一緒に、仲間と共に考えていくあり方の可能性が示されているそうです。
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