『短歌の友人』穂村弘|短歌の本で、心に響く文章術を3つ学んだ
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『短歌の友人』穂村弘|短歌の本で、心に響く文章術を3つ学んだ

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歌人の穂村弘さんの『短歌の友人』を読みました。書評家の三宅香帆さんが、文章術について話した回で「一番私が刺激された本」と挙げていた1冊です。

こばん
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短歌の本で、文章術?

しゅり
しゅり

普通の文章にも応用できる内容がありました。心に響く文章術を3つと、分からないところがあっても読み進めていいと思えた話を書きます。

結論:短歌に詳しくない私にも、面白さと学びがあった

短歌に詳しくない私には、難しく感じるところもありました。それでも、言葉の表現や穂村さんの世界観に、面白いなと思うところがありました。

5W1Hをわざと全部は書かないこと、矛盾や混乱をそのまま入れること、具体的で小さな違和感を書くことは、どれも短歌以外の文章でも使えると思いました。

穂村弘

短歌の友人(河出文庫)

短歌の友人(河出文庫)

23歳で短歌と出会い、ほかの人の歌を読み続けてきた歌人の歌論集です。わざと書かない、矛盾や混乱を入れる、といった〈リアル〉に書く方法や、口語の短歌の変わり方、歌人論など、7つの章があります。第19回伊藤整文学賞の受賞作で、文庫には高橋源一郎さんの解説が付きます。

出版社
河出書房新社
刊行
2011年2月
仕様
文庫・272頁
楽天評価
4.2/5(30件)
値段
定価 ¥880

どんな本か

穂村さんが、ほかの人の歌を引きながら、どこが面白いのか、なぜリアルに感じるのかを読み解いていく本です。短歌の歴史を追った章もあります。

最近、いい文章について考えることが多く、AIの整ったわかりやすい文章と、心に響く文章は違うと思っていました。中身の少ない長い文章より、濃くて短い文章のほうがいいな、と思うこともありました。

そんなときに、三宅さんがこの本を挙げて、「私にとっては文章術の本でもあって」と話していました。短歌は31音が基本の短い詩なので、この本はぴったりだと思い、9月20日にKindle版を買いました。

三宅香帆さんと竹下隆一郎さんの文章術まとめ|1000字を書くには1000字を書く、AIの文章は横目で見て0から書き直す。参考にした本10冊も

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読もうと決めたのは、この回でした

短歌を読み慣れていないと、少し難しいところも

たとえば、例として出てくる短歌がたくさんあるのですが、どこで切れるのかが分かりにくいところもありました。区切りにスペースがあったら嬉しかったです。

心に響く文章術

5W1Hを、わざと全部は書かない

穂村さんは、世界を〈リアル〉に表現するためのテクニックのひとつに、わざと「書かない」という方法を挙げています。例のひとつが、加藤治郎さんのこの歌です。

手をひいて登る階段なかばにて抱き上げたり夏雲の下

——加藤治郎(穂村弘『短歌の友人』河出文庫より)

5W1Hのうち、何を抱き上げたのかが書かれていません。穂村さんは、歌い出しの「手をひいて」から、読者がたぶん子供だろうと自分で想像することで、情景が初めて完結する、と説明しています。

普通の文章にも応用できそうだと思いました。

たとえば

書くと:小学生のころ、夏休みに祖母の家へ遊びに行くと、祖母はいつも私のためにスイカを切ってくれた。

書かないと:おばあちゃんの家のスイカには、いつも種を出すための小皿がついていた。

書かないほうがリアルだと思います。ただ、何個か練習してみましたが、自分で書くのはなかなか難しいです。

矛盾や混乱を、そのまま入れる

もうひとつが、矛盾や混乱の導入という方法です。例のひとつが、東直子さんのこの歌です。

怒りつつ洗うお茶わんことごとく割れてさびしい ごめんさびしい

——東直子(同書より)

怒りながら、「ごめん」と言っています。穂村さんは、私たちの生は直線的な感情や、目的にかなった行動だけでできているわけではなく、誰もが混沌とした感情や体感の中を生きている、と書いています。この歌は、そういう生の断片を丸ごと写し取ったものとして、とても〈リアル〉な表現になっている、と。

しゅり
しゅり

すごく納得しました。文章を書くとき、私もきれいに整理してから書こうとすることがありますが、それがリアリティを遠ざけているんだと思いました。

でも、これも実際に簡単にできるわけではないと思います。

具体的で小さな違和感を書く

別の節で穂村さんは、近代以降の短歌のリアリズムでは「あるときある場所に本当にそれはあった」といった証が求められてきた、と書いています。そのうえで、短歌的リアリティを補強する要素としてもっとも有効なのは「なるべく具体的で小さな違和感」で、「現実的社会的には役に立たない情報」だとさらに望ましい、と。例のひとつが、同じく東直子さんのこの歌です。

はじめからこわれていたの木製の月の輪ぐまの左のつめは

——東直子(同書より)

穂村さんは、左のつめがはじめからこわれていた、と書かれることで、月の輪ぐまの存在感にリアリティが与えられている、と読んでいます。こわれていたのだから本当にそれはあったのだ、という奇妙な転倒が、読み手の心の中で起こる、と。同じ月の輪ぐまでも、体長何センチ、材質が何の木、誰の作品といったデータではいけない、とも書いています。

これも言われてみれば確かにと思いましたし、短歌以外の普通の文章でも使えると思います。

しゅり
しゅり

ただ、「なるべく具体的で小さな違和感」や「現実的社会的には役に立たない情報」は日常生活では見過ごしがちなぶん、これも実践は簡単ではないなと思います。

社会で生き延びている私たちにとって、なぜリアルな文章を書くのが難しいのか

穂村さんは、わざと書かない方法と、矛盾や混乱を入れる方法が何を意味するのかを、その反対から考えています。反対とは、5W1Hをいつもはっきりさせて、矛盾や混乱をなくすやり方です。私たちはふだんの多くの場面で、そうするように求められ続けてきたはずだ、と。

私たちがそうするのは、目的にかなうように動こうとする意識(本の言葉では「合目的的な意識」)があるからで、日常や社会での行動は、ほとんどすべてこの意識とやり方に支えられている、と穂村さんは書いています。人間の目的は、突きつめるとすべて「生き延びる」という大きな目的にまとまっていく、とも。

そして、この「生き延びる」という目的と、それに向かう意識こそが、私たちを詩のリアリティから遠ざけているのではないか、と仮説を立てています。その仮説から出した一応の結論が、次の一節です。

我々の言葉が〈リアル〉であるための第一義的な条件としては、「生き延びる」ことを忘れて「生きる」、という絶対的な矛盾を引き受けることが要求されるはずである。詩を為すことは必ず死への接近を伴うという、しばしば語られるテーゼの本質がこれであろう。

——同書 「〈リアル〉であるために」より
しゅり
しゅり

本では「詩を為すこと」ですが、私にはリアリティを出すためには、というふうに読めます。ここは、すごく面白いと思いました。

合理的に、社会で生き延びていくのに必要なことが、リアルを感じるいい文章から遠ざけてしまう、ということです。死に近づかないにしても、面白い文章を書くために、合理的なことばかり考えないようにしようと思いました。

全歌集を、お墓ではなく冷蔵庫にたとえた一節

荻原裕幸さんが、30代で事実上の全歌集『デジタル・ビスケット』を出したときの話です。全歌集はふつう大家が出すもので、同い年の穂村さんは、友だちが早々と立派な墓を建ててしまったような、奇妙な淋しさを感じた、と書いています。

ところが、実際にその墓に近づいてみると、奇妙な取っ手のようなものがついている。ん?と思って引っ張ってみると、ぱかっと前面が開くではないか。そしてなかには「梨」「ビール」「牡蠣フライ」「檸檬」などが、ぎっしり詰まっている。こ、これは冷蔵庫じゃないか!

——同書 「現代短歌の冒険」より

面白いと思いましたし、こんな文章はなかなか書けないと思います。

私が書いたら

同年代の歌人が、一般的に集大成として出すような全歌集を若いうちに出して淋しかったが、実際読んでみるとそんなことはなかった。

でも、それじゃ面白くないです。この本には、こういったユニークな表現や、穂村さんの世界観が広がっていて、そういうところも読んでいて楽しかったです。

「なるほど」は、どこから生まれるのか

短歌の雑誌の特集「なるほど短歌」に寄せた節では、編集部の依頼状に例として挙がっていた、沖ななもさんの「この鯛は無病息災に生きてこしにこうしてわれの口に入りたる」という歌が出てきます。穂村さんは、「なるほど」を生み出す力が「無病息災に生きてこしに」の部分に宿っている、と読んでいます。

当たり前のことをそのまま云われても「なるほど」にはならない。当たり前のことに改めて気づかされるとき「なるほど」という感情が生まれるのだろう。

——同書 「やさしい鮫」より

確かにな、と思いました。面白い文章を書くための知識がつきました。でも、当たり前のことというのは、あまり気にかけないものですから、そこに気づけるかや、書けるかは、また別です。

繰り返すのは受け入れつつ、同じところに戻るのは望ましくない

口語の短歌についての章で、穂村さんは、口語が自然なものになるにつれて、表現の出発点として等身大の〈私〉がふたたび浮かび上がってきた(本の言葉では「再浮上」)、と書いています。近代の短歌が、まだ知らない〈私〉を獲得していく歴史だったのと比べると、この「再浮上」は印象が大きく違う、と。そのあとに続くのが、この一節です。

無論「再浮上」にも時代の必然性はあるわけだが、一周回って既知の〈私〉に出会うという事態はやはり望ましいこととは思えない。同一平面で一周回るのではなく、螺旋状の展開のなかに新たな価値を見出したいと思う。

——同書 「不自然さの消失」より

素敵な表現だと思いました。よく時代は繰り返すとか言いますが、まったく同じでは成長はないと思います。そこをうまく表現していて、すごいなと思いました。

分からないところがあっても、読み進めていい

短歌に詳しくない私には、理解が難しい箇所もありました。それでも読み進められたのは、2つの言葉があったからです。

1つは、三宅さんが文章術の回で話していた、「1冊読んでいて、一生覚えているかもしれない1文に出会えたら、もうその本はめちゃくちゃ価値がある」という言葉です。もう1つは、この本の「はじめに」にある一節です。

短歌雑誌や歌集やネット上の歌を読みながら、面白いとかつまらないとかわからないとか思っているだけだが、長年続けているうちに、頭の中に面白いなと思う短歌が少しずつたまってゆく。

——同書 「はじめに」より

一文一文を深く理解しようとして諦めてしまうようなことが、私自身ありました。この2つの言葉で、分からないながらも読み進めていいんだと思えました。今後、積読は減りそうです。

しゅり
しゅり

なんで一文一文を深く理解しないといけないと感じているのか、ちょっと考えてみたら、国語の問題を解いたときの思い出があるからかもしれません。国語の授業は熟読の練習で、ふだんの読書がそうである必要はないんだと思いました。

こばんの台帳

こばん
こばん

で、心に響く文章、書けるようになったの?

しゅり
しゅり

知っているだけでは、いい文章は書けないと思いますが、この本に教えてもらったことを意識して、いい文章が書けるようになれたらいいなと思っています。

こばんの台帳

今回の記録:2026年9月20日、Kindle版を594円で購入。9月22日に読了。購入から2日。

結論:594円で、文章術を3つ教わった。元は取れた。

まとめ

短歌に詳しくない私にも、言葉の表現や穂村さんの世界観に面白さを感じられる本でした。三宅さんが話していたとおり、普通の文章にも応用できる内容がありました。気になったら読んでみてください。

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